ひろしま森づくりコミュニティネット森づくりブログ森とたたら製鉄(その2)

森とたたら製鉄(その2)

公開日:2020年02月01日 最終更新日:2023年07月05日
登録元:「統括団体(広島市経済観光局農林整備課)」

詳細

「森とたたら製鉄(その2)」
(令和2年2月)

 前回は中国山地での「たたら製鉄」について書きましたが、広島市近郊ではどうだったのでしょうか。
 本市に隣接する安芸太田町の加計隅屋(かけすみや)が有名で、江戸時代から太田川水系、高津川支流の匹見川水系、周布川水系、江の川支流の志路原川水系などでたたら製鉄を営んでいました。
 この時代のたたらの様子を描いた「隅屋鉄山絵巻」が加計隅屋に残されており、全国的にたたら製鉄の資料が少ない中、とても貴重な資料です。
(写真は島根県雲南市「菅谷たたら」です。)

 以前も触れましたように、たたら製鉄は鉄穴流し(かんなながし)により大量の土砂を河川に流していたので、広島藩では、三角州の上に築城した城や城下を守るため、太田川水系での鉄穴流しを禁止しました。以降、鉄穴流しは中国山地の分水嶺の山陰側で行われていたようです。

 広島市内では、安佐北区安佐町鈴張の安佐サービスエリア近くでたたら製鉄の痕跡を見ることができます。この鈴張地区には堂床山系があり、豊富な森林資源が身近にあったためでしょう。今はヒノキ林になっていますが、林道上にスラグ(鉱さい)が散乱しています。また、林内には平な場所があり、ここに炉を始めとするたたら製鉄の施設があったのではないかと想像します。

 安佐北区可部の鋳物工場、西区横川の針工場は、かつて太田川水系の各所で行われていたたたら製鉄により産出した鉄に由来していると言われています。昭和初期まで太田川を高瀬舟が行き来していましたので、これにより可部や横川に鉄が運ばれていたのでしょう。鉄とともに、中国山地から木材も運ばれてきましたので、現在でも広島市内の横川や天満に材木を扱う企業が多いのも頷けます。

 近年、かつてたたら製鉄用の炭を焼いていた山々に異変が起きています。ナラ枯れ病により、ミズナラ、コナラなどのブナ科の樹木が枯れているのです。ナラ枯れ病は以前からある伝染病ですが、過去にここまでひどい被害はなかったようです。
 たたら製鉄が盛んであった時代から昭和初期の燃料革命が起きるまで、中国山地では炭焼きが盛んに行われていました。結果的に伐採・更新が繰り返され、このことがナラ枯れの防除に繋がっていたとも言われています。
 木材を利用することが、結果的に森を健全に保つことに繋がることを教えてくれているように感じます。

この情報は、「統括団体(広島市経済観光局農林整備課)」により登録されました。

この記事をチェックした人はこんな記事もチェックしています