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「電柱のはなし」
(令和元年11月)

 電柱といえば、コンクリート製の電柱を思い浮かべられる方が多いのではないかと思いますが、昭和30年代まではコールタールを塗った木製の電柱が主流でした。
 私の記憶では、安芸郡坂町の国道沿いの広大な敷地に某社の電柱と枕木の集積場があったと思います。
 若い方は使わないかもしれませんが、電柱(デンチュウ)のことを電信柱(デンシンバシラ)と呼んでいたことを思い出します。

(写真は、広島市内に残る木製電柱です。)

 電柱はいつ頃から建てられたのでしょうか。
 日本の電柱は、明治2年(1869年)に東京・横浜間に電信用として建てられたのが最初です。電力用としては、明治16年(1883年)が最初で、この時代は当然木製の電柱です。
 コンクリート製の電柱は、大正12年(1923年)が最初で、円形ではなく四角形の柱だったようです。今でも函館に現存しているそうです。
 私たちが現在目にする円形のコンクリート柱は、昭和26年(1951年)に原宿駅に初めて建てられたそうです。

 電柱の耐用年数は、国税庁の耐用年数表によると、木柱が15年、コンクリート柱が42年となっていますので、木柱からコンクリート柱に代わっていったことも頷けます。

 電柱の体積は、長さ12m、太さ30cmの電柱の体積をすべて同じ太さの円柱として計算すると、0.85m3となります。
 現在、広島県内で電力会社が管理している電柱が約50万本あるそうですので、全体の体積は42万5千m3となります。
 これらがすべて木製だとすると、15年で交換することになり、1年当たり2万8千m3の電柱材が必要となります。これは、広島県で1年間に生産されるスギ・ヒノキの原木生産量33万9千m3の8%に当たる量です(生産量は平成29年広島県素材生産実態調査結果より)。
 この他に電信用の電柱もありますので、それを含めると10%を超える量になるのではないかと思います。

 西中国山地を発し、廿日市市吉和や安芸太田町戸河内・加計を流れ、広島市から瀬戸内海に注ぐ太田川の流域一帯の森林は、かつては主要な電柱材の産地でした。
 紅葉が見頃となり赤や黄に色づいた林と、濃い緑のスギ・ヒノキ林のコントラストが鮮やかとなったこの時期に、力強く伸びゆく木々たちに、会いに行ってみてはいかがでしょうか。

 
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