NPO法人里山環境保全みどり会
                               

洗心橋

むかしむかし、安村に住む心やさしい若者がいました。若者は毎日毎日畑で仕事をしていましたが、この仕事がもう嫌になっていました。前から広島の町には何でもあると聞いていたので、とてもあこがれをもっていました。そんなある日ついに決心して水越峠を越えて山本から広島にでてきました。運よく、働くところも見つかって、丁稚奉公をしていたのですが、これまで読んだり書いたりしたこともなかったので、帳簿をつけることなどできません。ついに我慢できなくなって、帰ることにしましたが、もうぼろぼろになって、「どおでもいいや」という気持ちになっていました。そしてこの場所まで帰った時に、小石につまずき、足をとられて渓流に入ってしまいました。その水の冷たさに「はっ」としました。自分はこれまで何をしていたんだろう。畑仕事が嫌になって、丁稚奉公も嫌になって、嫌々ばかりで何もできていない。と、思いました。心が洗われたのです。何をするにも上の空ではだめなんだ。心を込めて働かないと楽しくないし、面白くもないと気づいたのです。心を入れ替えて、一生懸命に楽しく働くようになりました。それからは、とっても明るくなりました。そのきっかけがこの場所です。心が洗われた場所です。みどり会は、この場所に橋を架けました。そして、橋は洗心橋と名付けました。

 
   

2018.7.6土石流災害が発生し、渓流は無残にも土砂で埋まってしまいました。たくさんの方が、復旧の応援に来てくれました。

写真は祇園中学校の野球部の生徒さんです。
谷の横に石を積んで登山道も復旧しました。
庭石のいらなくなったものをもらってきたので、これを橋の基礎に積むために人力で運んでいます。
重い石を積み重ねます。
動かせない石をきれいに並べるためにチェインブロックで吊って微調整しました。
枯れた栗の木をもらいました。栗は腐りにくいので橋の材料にはとてもいいようです。
太鼓橋ですから2本が同じ孤を描かないと太鼓橋にはなりません。
これを川まで運びました。そして、積んだ石の上に載せて、板を打ち付けました。
手すりをつけました。カーブをつけて、両方が同じになるように片方の曲がりすぎは真ん中を押さえて、曲がっていないほうは両端を押さえて、調整しました。
自然に溶け込んでいます。土石流災害にあったようには見えない渓谷になりました。
できあがりました。
この橋の製作指揮官の記念撮影をしました。

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