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この写真にありますように、この住居が復元された当初、つまり、ニュータウンができた時は、この住居はどこからでも見ることができました。歴史研究会の人たちは、バスを連ねて見学に来ましたし、幼稚園、保育園、小学校等の遠足でもにぎわい、子育て時期の親子連れ、近隣の人たちの憩いの場所でもありました。
ところが、月日とともにどんどん成長してきた樹木が、山一帯を覆い尽くし、密林のように茂り、山道には日差しも入らなくなりました。
そこで、7年前に立ち上がったのが、私たちふるさと恵下山まもり隊です。メンバーのほとんどは、隣接する真亀自治会の住人です。
なぜ、私たちが立ち上がったのか??
33年前、県下一のニュータウンとして、造成されたこの地へ、あちらこちらから寄り集まり、ここを第二の故郷として、地盤を築いて来たこと、また、その一角に、弥生時代の遺跡があり、歴史的にも貴重な場所であることです。
そのような場所で生を受け、育ってきた子どもたちには、ここを故郷として残してやらねばという熱い思いがあるからです。
場所は、広島〜向原線県道と、太田川にはさまれた高陽ニュータウンA団地の一角にあります。高陽高校の南側です。
恵下山住居群跡、恵下山城跡、遺跡群、古墳とそれぞれ時代の違う遺跡が重なって存在し、昭和49年に広島県史跡、恵下山山手遺跡群とした指定されました。桜を植樹したりして、恵下山桜公園として、市の管理下のもと山一帯が美しい公園でした。
そんな公園が、昼間でも薄暗くなり、不審者が出没する、安心して遊べないなどと、だんだんと人々を遠のかせていきました。
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以前のように、明るい山にして再びたくさんの人が憩える場にしようと意気込みましたが
何しろ直径30cmほどにも成長した木を切るのは素人にはとても無理な仕事でした。
そこで、森づくり活動団体、もりメイト倶楽部の応援をいただき、年2回くらい、援軍というより、専門的な技術と機動力で、間伐、除伐などをしてもらっています。
もりメイト倶楽部の方々が、住居の上に覆いかぶさっていた木を、文化財である住居を全く傷つけることなく切ってくださいました。
この時、何年振りかで太陽の光を浴びた住居は背伸びをしたように見え、ド〜〜〜と存在感を示したように見えました。
私たちの活動は、ここにお集まりの諸団体の方々の活動に比べれば、ささやかな活動にすぎません。が、継続は力なりの言葉通り、毎月一回、コツコツと整備活動を積み重ねています。登山道も明るくなり、頂上の展望台もすっかり視界が開けてきました。
写真は、もりメイト倶楽部の方々とともに作業しているところ、登山道にサザンカを植えているところです。
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標高わずか68mの小高い山ですが、展望台からの眺望はご覧のように、東に木の宗山から登る、神々しい初日の出を拝むことのできる、御来光スポットです。
西には悠々と流れる太田川がのぞめます。
その昔、物流の水の道としてさかえた流れがうかがえる水量、また、広島市の水がめの量の豊かさを感じさせます。
(ちなみに私は、ライン川と呼んでいます。川の両側にあちこちに山城があること。悠々と流れる雰囲気が似ていると思うからです。ただ、ドイツのライン川には大型客船が行き交っていますが、ここはアユ釣りのボートか、カヌーくらいですが。)
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